【93冊目】『虐殺のスイッチ』|まったく読書したことない新社会人の読書日

読書記録

全く本を読んだことがない社会人2年目が読書を始めてみるというこのブログ。

91回目は森達也さんの『虐殺のスイッチ 一人すら殺せない人が、なぜ多くの人を殺せるのか?』について書いていきます。

人類史で度々起こる虐殺の原因について考えるノンフィクションです。

読んだ感想を書いていきます!

※内容に触れていますので、未読の方はご注意ください。
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森達也著『虐殺のスイッチ 一人すら殺せない人が、なぜ多くの人を殺せるのか?』を読んでみた

オウム真理教のドキュメンタリー映画『A』やその続編『A2』を公開し、山形国際ドキュメンタリー映画祭で審査員特別賞・市民賞を受賞するなど、映画監督・作家として活躍されている森達也さん。

本書『虐殺のスイッチ 一人すら殺せない人が、なぜ多くの人を殺せるのか?』には、そんな森さんの取材経験から見えてきた、「虐殺を起こす人の共通点」が書かれています。

虐殺を起こす人たちの共通点、それは私たちと何も変わらない平凡な心優しい人であること

そんな人たちがどのようにして大量殺人を起こすようになったのか、歴史上の様々な実例からその根本的な原因について紐解かれていました。

世界情勢が不安定だと言われる今だからこそ読まれてほしい本です。

あらすじ

↓今回は小説ではないので、簡単に内容をまとめました!↓

1なぜ人はこれほど残虐になれるのか
→著者がトゥール・スレン虐殺犯罪博物館を訪れたとき、感じたことや考えたこと

2どうしても学校や会社には適応できない
→著者が虐殺に関心を抱いた理由と、ドキュメンタリーを撮るようになった過程

3オウムを撮ることで気づいたこと
→『A』を撮影することになるまでの過程や、なぜ撮ったのかという理由

4生きものの命は殺してもいいのか
→生きものを殺して生きることの、線引きの問題

5人を殺してはいけない理由などない
→戦争において人はどのように人を殺せるようになっていくのか

6もとからモンスターである人などいない
→殺人をおかす人間の凡庸さについて

7この世界は虐殺に満ちている
→近現代に実際に起きた虐殺の事例

8集団と忖度
→虐殺が起きる原因のひとつは、集団内で発生する忖度である

9善良な人々が虐殺の歯車になるとき
→アイヒマンの事例と、人の本能について

10虐殺のスイッチを探る
→集団と化した人たちが虐殺を起こすまでの過程と原因

著者自身が虐殺の加害者を見てきた経験を振り返り、そこから歴史上の事例を挙げ、そこに共通するものを導き出すという流れで進んでいきます。

2023年に刊行された作品のため、まだ記憶にあたらしい時事問題や、今まさに話題になっている社会問題についても書かれており、虐殺以外にもナショナリズムや二極化といったテーマについても学べました。

悲劇を煽るような文章もないので、こういったテーマのノンフィクションは精神的に負担を感じるという方にもおすすめです。

読んでみた感想・読んで考えたこと

考えろ、と刺されながら読み進めました

虐殺は決して特別な悪が引き起こすものではなく、今まさに平凡な私でも加担してしまう可能性があることなんだということ、

そして、ホロコーストも、クメール・ルージュによる大量虐殺も、誰かひとりが明確に指示したわけでなく、曖昧なまま憶測による忖度が進んで起こってしまったという事実が非常に衝撃的でした。

今まで、殺人事件のニュースを見て加害者に対し「なんて酷い人だ、きっと他人への共感なんて無い悪人なんだろう」と思っていましたが、そう思っている時点で自分は虐殺を起こしてしまう危険性があるという、、、

誰かを「自分とは違う」とみなした時点で、虐殺のスイッチが準備されている状況なんだということは、しっかりと覚えておきたいです。

本書には他にもたくさんの衝撃的なことが書いてあって、頭がいっぱいいっぱいになりそうなほど、色々考えるべきポイントが提示されていました

例えば、命の線引きの問題

人は豚や牛を殺さなければ生きていけないけど、犬や猫は愛着があるから殺せない。法律にも傷付けていい命とそうでない命が明確に分けられているが、その根底にあるのはただの感情に過ぎないということ。

ペット愛護を叫びながら、世界中に非難されても鯨漁やイルカ漁を止めない日本。

そこには論理なんてあるはずがなくて、感情論でしかないということに驚きました。

鯨って、必要だから捕れてるんじゃなくて、ナショナリズム結果大量に殺されているんだ……

無知なことをひたすら恥じました。

そして、死刑や終身刑を排除した国の方が犯罪率が低い傾向にあること

ノルウェーが死刑や終身刑を廃止していることは知っていましたが、被害者遺族と加害者家族が支え合っているというのは私には想像もできない光景です。

治安が良くなるからと合理的に判断した国と、今も死刑を続け加害者家族に社会全体で制裁を加える日本を対比して、

ならば僕が生まれたこの国では、被害者がこれ以上増えないことよりも、加害者を罰することを優先している、ということになるのだと。

と語る著者の言葉に、自分の醜さを刺された気分でした。

考えれば考えるほど分からなくなる問題ばかりです。

集団は論理を嫌う

答えのない問題や、感情が邪魔する問題を多く提示する本書の中で、ひとつだけはっきりとした答えが示されているものがあります。

それは、考え続けるしかないのだということ。

なぜなら、考えることを止めた個が集団に埋没し、簡単に少数への排除を始めるところから虐殺ははじまってしまうから。

集団化することは人間の本能として止めようがないけど、集団の密集度を下げることはできると本書は教えてくれます。

集団の密集度を下げるために必要なのは、大きい声や強い断言、同調圧力に引き寄せられるのではなく、世界のグラデーションが見える位置に行くこと。

遠くから見たら2色でも、近くで見たら色々なトーンが混ざったグラデーションなんだと気付けますよね。

大きい声や強い断言、同調圧力に抗って端によるためには、「それは本当に正しいのか?」と問い続けることが必要になるというのがこの本の結論でした。

そして、過去を忘れないことも重要だそうです。

過去に起きた戦争や虐殺よりも恐ろしいことがひとつだけある。過去に起きた戦争や虐殺を忘却することだ。

同じことを繰り返さないように、過去を忘れず、少し形を変えただけの過去の再来を見逃さないように、真ん中に集まらないで考える。

世界中の人々がそれぞれの真ん中に集まろうとしている今だからこそ、これは意識していかなければならないんだと感じました。

私の場合はまず知らなすぎるので、知らないことを恥じて知ろうとするところから始めようと思います。

反知性主義に抗って

「集団は論理を嫌う」ということばが本書にもありましたが、クメール・ルージュによる大虐殺でも、文化大革命でも、知識人の迫害が起こったんですよね。

もちろん、知識人は殺人を起こさない・そうじゃない人は大量殺人を起こすなんてことは無いですが、

それでも、考え続けることで止められる悲劇があるのならば、考えることを止めたくないと思いました。

そして、そのために読書ってあるのかな、とも考えました。

気軽に過去のことを知れて、気軽に考えるきっかけをくれる本。

これからも、自由に読書ができる喜びを噛み締めながら気になった本をどんどん読み続けていきたいです。

次回もどうぞ、よろしくお願いいたします。

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