【81冊目】『AはアセクシャルのA 「恋愛」から遠く離れて』|まったく読書したことない新社会人の読書日記

読書記録

全く本を読んだことがない社会人2年目が読書を始めてみるというこのブログ。

79回目は川野芽生さんの『AはアセクシャルのAについて書いていきます!

ずーっと読みたかったエッセイ✨

ようやく手に取りました!!どんな内容なのかはほとんど存じ上げなかったのですが、、、!

読んだ感想を書いていきます!

※内容に触れていますので、未読の方はご注意ください。
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川野芽生著『AはアセクシャルのA 「恋愛」から遠く離れて』を読んでみた

※画像引用元:Amazon

小説家・歌人・文学研究者など、様々な分野で活躍されている川野芽生さん。

本作『AはアセクシャルのA』は、アセクシャルを自認する川野さんの体験や想いを書き綴ったエッセイです。

元々はウェブ上で「A is for Asexual」というタイトルで連載されていたブログで、そこに加筆修正や書き下ろしを加えたものが1冊となっています。

著者自身が生きてきて辛かった経験や、怒りなどが言葉に強く宿っているので、元気がないときに読むと強い感情に飲み込まれそうになりますが、

それでも「知らなかった」では済まされない問題や、考え方に触れられるため、私はこの本に出会えて良かったと心の底から感じました。

性的マイノリティや、そもそもエッセイに関して全く知識を持たないのですが、それでも問題なく読めたので、少しでもご興味があればぜひ気軽にお手に取って見てください!

あらすじ

↓今回は小説ではないので、内容を簡単にまとめました!↓

第一部 〈恋愛〉のある世界に生まれてしまった
→著者の実体験から、アセクシャルにとって今の社会はどんな姿なのか、恋愛をしないとはどんなことなのか、というエピソード。

第二部 アロマンティック/アセクシャルとは何だろう
→基本的な用語の意味や、どんな人を指すのか、そもそも性的マイノリティとはどんなものなのか、著者の考え。

第三部 私を生きる、アセクシャルを生きる
→著者が人生において大切にしている考え方や、様々な「人との関係性」やそれに付随する感情について。

番外編
→『ゲゲゲの謎』『ジョジョ・ラビット』に関する論評や、アセクシャルを知るためのブックガイド。

著者自身の実際の体験を基本として、そこからアセクシャルとして生きるということはどんなことなのか、ということが書かれています。

用語にはしっかりと注釈が入っているので全く知識がなくても読めますし、アセクシャルに興味関心が無いという方でも、普遍的にある社会の抑圧・規範といったことについても書かれているので、自分ごととして読めるはず。

常に、「私はこう思う。あなたは?」と問いかけられているので、自分の考えを深めてみたいという方にもおすすめです!

読んでみた感想・読んで考えたこと

アセクシャルとは?具体的にどんな人で、どんなふうなの?ということだけでなく、「社会からの
抑圧を感じている人」全般のことについて、知ることができました

「あなたの考えと私の考えは違う」と言うと、あなた(=社会の規範にたまたま合致していたため、自分の考えが社会一般の考えだという認識を持っている人)は、「まだまだ未熟なだけだ」と「私」を劣っている人間とみなすか、見栄や保身のため「嘘をついている」とみなす。

最初からそう思っている人に怒りを感じ、何を言っても無駄だと思うことは、すごく当たり前のことなのではないでしょうか。

でも、言葉にするとこんなに当たり前のことでも、実際にはありふれていることだし、自分はやってないなんて確信を持って言えるわけじゃないんですよね…。

特に、「恋愛経験のない人は社会的に劣っている」とか、「恋愛経験のない人は精神的に未熟な人だ」という考え方は本当に一般的すぎるほど一般的なように感じます。

本書にも書かれていますが、「恋愛経験がない人」=「他者を思いやったり、優しさを持つことができない悪人」という図式が物語等でも非常によく見られる。

ですが、著者が「『ジョジョ・ラビット』論」で語っていたように、実際には

根っからの悪人なんかいないとしても、みんな人を愛する心を持っていても、それでもホロコーストは起きたのだ

「誰かを愛することができれば他者を思いやれる」という考えも実はすごく規範的で、「ノーマル」かそうじゃないかを線引する考えなんだ、というのは目からウロコでした。

恋をしない者は単に幼いだけだ。恋をし、愛を知った者なら、差別や迫害になど与せず、他者の生命と幸福を尊重する。差別も迫害も、その「ノーマル」から外れた者が行うのだ。

それは、「正常な人間」が何であるかを規定し、そこから外れた存在を悪魔化する考えだ。「ユダヤ人は人間ではなく悪魔である」と教えたナチスと変わらないんじゃないのか

確かに、何が良くて何が悪いかを無意識に規定してしまうことと、差別を行うことの間に差なんかなくて、

でも自分が無意識的に持ってる良い悪いの規範を認識するのはすごく難しい…

どうすれば、私は誰かを差別しない人間になれるのだろうか。

少なくとも、差別をしない・誰かをその人の持つ属性で「悪」としない人間でありたいと思います。

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誰かの正しさを、ジャッジしない

この本を読んで、性的マイノリティの人は自分のSOGI(性的指向/性自認)を指す言葉に自分が当てはまっているのか、ということをずっと考え続けるのだ、ということを知りました。

なぜなら、何度も何度も主張したSOGIを他者から否定されるという経験をするし、自分が自認するSOGIから外れた行動を取ってしまったら、同じ言葉を使っている人が「嘘をついている」ないしは「そういう人」とみなされていまうから。

でも同時に、本書では言葉というものの難しさも指摘されています。

用語は個人の経験や感覚を記述するために生まれてきたものであるにもかかわらず、その一般的な定義に固執すると個人からは乖離していく。

その生き方を実現するのに、何を自認しなくてもいいならばそれでもいい。

性自認や性的指向ってかなり個人的なもので、内面の問題を多分に含んでいるから他人からは分かりにくいし、同じ言葉を使っていても感じているものや表現したいものは別なのかもしれない。

人によって生きてきた人生は違うし、当たり前だけど別の人間だから、「こう言っているのだからこういう人」という論法は使えないんですよね。

もちろん、川野芽生さんがアセクシャルの全てというわけでもない。

だからこそ、「こう自認しているんだからこうなんじゃないの」とか、「あなたのそれは𓏸𓏸とは言えないんじゃないか」とか、間違っても口にしないようにしようと思いました。

誰かの正しさをジャッジするということは、誰かを正しくないとすることで、それは差別と何も変わらないから。

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私に似た存在がこの世に一人もいなくても

たとえたった1人でも、間違っているということにはならない。

数の多さを根拠に主張することは、マジョリティであることを根拠にマイノリティを否定するのと同じ。

たった1人しかいなくても、そのたった1人の存在を尊重できる社会であればいいと思います。

自分もひとりの他者なのだから、苦しんでいいはずがなかった

数が正義ではない世界を目指して、1歩ずつ。

『AはアセクシャルのA』のような本が1人でも多くの方に届くことが、その1歩なんじゃないかな、と思う今日この頃です。

次回もどうぞ、よろしくお願いいたします!

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