【5冊目】『コンビニ人間』|まったく読書したことない新社会人の読書日記

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こんにちは、ゆあです!

本を読んだことのない社会人一年目が本を読み始めるというこのブログ、5回目となる今回は村田沙耶香さんの芥川賞受賞作『コンビニ人間』について書いていきます!

結末に触れていますので、未読の方はご注意ください。

第155回芥川賞受賞作である今作。

第4回まで読んできたエンタメ小説とは異なり、「純文学」というジャンルに属する小説らしいです。
(「純文学」の定義は調べてもよくわかりませんでした…💦)

ただ、すごく考えさせられる小説で、読んでいる間主人公のことを考えてすごく辛かったです。

パワーワード連発小説だった

今回から、”良いな”と思った文章に付箋を貼ることにしました!
(本好きの友人に、語彙力を上げる読書の仕方として教えてもらいました)

後で見返すと、自分はこんな文章を読んでいるときに良いと思ったんだぁとなりますね笑
後でパッと見ても良い文章もあれば、ストーリーを追わないと何故刺さったのかわからない文章もありました。
面白かったので、今後も続けていきたいと思います!

今回『コンビニ人間』で付箋を貼った箇所は、6箇所!
まだ初回なので多いのか少ないのかわかりませんが、解説抜きで161ページという短い小説なので、私にとってすごく印象に残る本ということなのではないでしょうか。

主人公の恵子のモノローグが「普通」に生きてきた私の傲慢さをグサグサ指してきて、すごかった。
私みたいな人間の発言(地元の友人や妹など)に対して恵子が思ってることを、よく噛み締めなきゃいけないなぁ…。

あらすじ

⇓今回もあらすじをまとめていきます!⇓

コンビニで18年間アルバイトとして働いている恵子は、他の人のように「普通」ではないことで周囲に心配をかけることを煩わしく思っており、「コンビニ店員」というマニュアル化された生き物であることで安心感を得ていた。しかし、36歳になってまだアルバイトとして働き、男性経験もない恵子を、まわりは「あちら側の人間」として異物扱いする。そんなとき、コンビニ店員を見下しながらコンビニでアルバイトをする男性・白羽と出会い、「この社会は縄文時代から変わっていない」と周囲への恨みを募らせる彼を自宅で匿うことに。男性と暮らし始めたことで友人や家族は「治った」と喜んでくれたが、コンビニ店員をやめた恵子の生活は崩れていき…。

『コンビニ人間』というタイトルはただ「コンビニの店員」というだけでなく、声の出し方から動き方まで目的のために規定された人間、ということなんですね!

161ページなので比較的短い時間で読み終えましたが、読んでいない間もずっと心に残っている小説でした。

あらすじを書いていて思ったのが、この小説はストーリーを説明するのがすごく難しい!ということです。
おおまかなストーリーラインはあるのですが、いわゆる「あらすじ」というものにならない…。
もっと練習します!

私っていつからこの私になったんだろう?と考えさせられました。
確かに、表情の作り方とか声の出し方とか、誰にも教わったことがないのにいつの間にかこうなってる。
私は今何割家族で、何割友人で、何割職場の人で構成されているのだろうか…?

Xでも書きましたが、読んでいる間ひたすら辛かったです。
恵子に、「そのままでいいよ」って言ってあげたいのに、実際まわりにこんな人がいたら「変な人」として分類しちゃうんだろうな…。

生まれつき「普通」でなかったら、それは治す必要があるものなんでしょうか。
身長とか目の大きさとか、生まれつきのものをひっくるめて「その人」となっているのに、後天的に「変だから」と変えてしまう行為は、そもそもの存在を否定することになりませんかね?

上手く言葉にできませんが、恵子は他の人とは違うけど、違う部分こそが恵子であって、そこを治して普通通りに周囲の人に受け入れられたとして、それは恵子ではなく他の誰かが受け入れられただけなのではないでしょうか。

私はどちらかというと妹とか恵子の地元の友人と同じような「普通」の人間だと思うのですが、「普通」って傲慢ですよね…。

今回最も刺さった文章に、恵子が友人から性的少数者ではないかと気遣われたときの言葉があります。⇓

なんか、すごく刺さりました…。
自分が理解できないことに勝手に文脈を付けて、「私はわかってるからね!」ムーブをしてしまったこと、多分たくさんあるんだろうな。

本当にそうだとしても、皆が言うようなわかりやすい苦悩とは限らないのに、誰もそこまで考えようとはしない。
自分はどうやったらそこまで考えられるんだろうか、そもそも考えればわかるかもしれないと思うこと自体傲慢なんでしょうか…。

わかりやすく苦悩している人は社会に受け入れられて、共感しにくい苦悩を抱えている人は社会に受け入れられない。
難しい問題です…。

主人公も「辛い」、「悲しい」という感情はあるんですよね。それが皆と同じタイミング、同じ形で作用しないだけで。
信頼していた仲間に裏切られたと思ったら泣きそうになるし、妹が自分のせいで泣いてたら焦る。
恵子はコンビニの店員として生きられたらそれで幸せなのに、社会がそれを不幸だと決めてしまう、そこの齟齬が問題なんでしょうか。

多様性ってなんだ…

物語の最後では、昨今の「多様性」ブームの話にも触れられていました。

ただ、やはり「多様性」が叫ばれる現代も、作中で言われているように昔と変わらず排他的な部分は変わってないんだろうと思います。
むしろ、「多様」な人たちに「普通」の人生を送ることを許してあげよう!という「普通」側の傲慢さの加速である場合も結構あるんじゃないでしょうか。

どうしたら本当の意味で「多様性を認める」ことができるのか、考えていきたいですね。

今回はじめて純文学を読みましたが、意外とスルスルと読めました!

純文学=難しいというイメージは杞憂だったようです笑

他の芥川賞受賞作も挑戦してみたいと思います!おすすめがあったらぜひ教えてください<(_ _)>

↑感想に入れられなかった好きな一文。

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