全く本を読んだことがない社会人2年目が読書を始めてみるというこのブログ。
80回目はジョージ・オーウェル著/山形浩生訳『動物農場』について書いていきます。
海外の古典文学に挑戦!
ジョージ・オーウェルという名前だけは知っているものの、実際に作品を読むのははじめてです。
読んだ感想を書いていきます!
※内容に触れていますので、未読の方はご注意ください。
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ジョージ・オーウェル著『動物農場』を読んでみた
英国領インドで生まれ、名門パブリック・スクールのイートン校を卒業し、作家となったジョージ・オーウェル。
「ビッグ・ブラザーがあなたを見ている」でお馴染みのディストピア小説『一九八四年』など、社会の風刺や批判を書いた小説、ルポタージュ等で知られています。
時代的には、20世紀前半の方なので、ちょうど世界大戦期の方ですね。
本作『動物農場』でも、ソ連が辿った社会主義が格差社会と個人崇拝へ行きつくまでの過程を描き出して批判し、社会主義のあるべき姿を見出そうとしています。
童話のような作風で短いため、私のような社会主義や歴史に知識がない人間でも、深い物語としてまずは楽しむ、ということができました!
あらすじ
↓今回もあらすじをまとめました!↓
オスブタの老メイジャーが亡くなる直前、メイナー農場の動物たち全員に、「人類の圧政に反逆し、真に動物たちによる動物たちのためだけの農場を実現するその日のために行動せよ」と、「動物主義」の理想について告げる。老メイジャーの言葉に感銘を受けた動物たちは、ある日偶然発生した混乱に乗じて農場主ジョーンズを追放し、革命を実現してしまう。動物たちは、前足が器用で読み書きができる豚たちを中心として「動物主義」の基本ルール「七戒」を定め、真に自分たちだけの牧場経営を実現させようと働きはじめる…。
物語単体で読むと、平等であった社会がいつの間にか搾取と圧政に進んでいく恐ろしいストーリーだと感じますが、
後に集録されている「訳者あとがき」で、この物語はソヴィエト連邦が辿った歴史をほぼそのままなぞっていることが解説されています。
老メイジャーのモデルはレーニン、革命後に指導者となった豚スノーボールはトロツキー、粛清と搾取を押し進め個人崇拝へと至った豚ナポレオンは、ヨシフ・スターリンだそう。
ハヤカワ文庫版に収録されている、オーウェル自身の「『動物農場』序文案」「ウクライナ語版への序文」、訳者の山形浩生さんによる「訳者あとがき」は、どのようにこの物語を読んだらいいのかをブックガイドのように示してくれました。
読んでみた感想・読んで考えたこと
私は社会主義や世界史についてあまりにも知識が無いため、最初読み始めたとき『動物農場』がソ連の歴史を辿っている物語であることに気付けませんでした。
本当はちゃんとモデルとかもわかるように知識を持っているべきなのでしょうが…
ただ、そのおかげでプラスもマイナスもなく、まっさらな状態で「動物農場」の理想が崩壊していく過程を見られたので、これ自体は貴重な経験だったと感じています。
老メイジャーが語った「動物主義」の理想は間違いなくその場の動物たちにとって理想だったし、ほとんどすべての動物たちが同意してはじまったはずなのに、なぜ飢餓と恐怖が支配する世界になってしまったのか…
オーウェル自身の言葉
このお話の教訓は、革命が大きな改善を実現するのは、大衆が目を開いて、指導者たちが仕事を終えたらそいつらをきちんと始末する方法を理解している場合だけだ、というものです
がひとつの答えを示しているのですが、
じゃあ動物たちがきちんと文字を読み書きできて「七戒」が書き変えられていることを指摘できればナポレオンの専制を止められたのか、というとそれだけでは足りないんじゃないでしょうか。
何より、ナポレオンには周りをとりまく凶暴な犬たちが常に牙を光らせていて、ナポレオンの不正を指摘しようとすると暴力的行為を実行することがわかっているわけです。
これが現実では秘密警察を指すのだと思いますが、この存在が実現してしまった時点で、もう民衆には指導者の不正を正すことはほぼ不可能になってしまうのではないか?と考えました。
秘密警察(=犬)の存在を事前に防ぐためにはかなり序盤にナポレオンが犬の子供たちを教育するため連れていったときや、牛たちのミルクをどこかに消したとき、膝を付き合わせてその意図や実際に何をしているのかを暴かなければならなかった、ということなのでしょうが、
物語として読んでいるときならともかく、現実にそんな初期の状態から不正を暴くことなんてできるのでしょうか?
そのタイミングを逃したらもうずっと粛清に怯えて暮らしていかなければいけないなんて、すごく厳しい…
「訳者あとがき」にもあったように、歴史上の社会主義国がすべからく同じ道を辿ったのであれば、やっぱり現実問題として初期に不正に気付き、それを指摘して是正するなんて難しいんですよね。
どうしたら
すべての動物は平等である。
だが一部の動物は他よりもっと平等である。
という結果を逃れられたんでしょう。
読んでからずっと考えていますが、何ができるのか全く答えが出ません。
1番の敵は、、、
山形浩生さんの「訳者あとがき」や、オーウェル自身の序文でも書かれている通り、『動物農場』はただ権力者を批判する物語ではなくて、むしろ権力者の不正を黙って容認するしかない民衆の方に警鐘が鳴らされています。
敵は、かけているレコードに同意しようがしまいが、蓄音機のようにそれを広めてしまう心のありかたなのだ。
この言葉は、物語中の
動物たちはまずナポレオンの言い分を聞き、それからスノーボールの言い分を聞きましたが、どっちが正しいか腹を決められません。実は、そのときしゃべっているほうにいつも同意してしまうのでした。
と完全に照合しています。
「正しい」とされているものの内容がなんであれ、それと合致するとのだけがひらすら主張され続け、合致しないものが全く触れられない社会というのは、すごく怖いものなんだということが分かりました。
それこそ、ロバのベンジャミンは文字が読めたわけで、「七戒」が捏造されていく過程を理解していたわけです。
ベンジャミンがそこで声をあげ、不正をみんなに知らせていたら、親友の老馬・ボクサーの悲劇的な最期を食い止められたかもしれないのに。
「声をあげない」ということ、そして「聞きたくないことを聞かない」ということはこれだけ重い罪なのか、、、
自由というのは何を置いても、みんなの聞きたくないことを語る権利ということなのだ。
民衆が信じたいことを信じ、聞きたいことだけを耳に入れるのではなく、聞きたくないことにも耳を傾けること
そして、「おかしい」と感じたらその場で反対意見を恐れず声を上げることこそ真の自由を獲得するために必要なプロセスなんですね。
私はきみの言っていることが大嫌いだ。でもきみがそれを言う権利は命にかけて守ろう。
というヴォルテール(この方の名前もはじめて知りました)の言葉の崇高さを、しっかり心に刻もうと思います。
1番の敵は、長いものに巻かれて声をあげることを怠ってしまう自分と、権力者が示す方向へ無批判に向きを揃えてしまう民衆の盲目さですね。
ディストピア社会にならないために。
もはや、現実世界がディストピアなのではないかと思う今日この頃。
『動物農場』を読んで、ディストピア社会をそもそも成立させないということがいかに難しいのか、ということが身に染みて分かりました。
常に、「ベンジャミンはどうしたら親友を守れたのか?」という問いは忘れずに心に持っていたいと思います。
『一九八四年』も読んでみたいです!
次回もどうぞ、よろしくお願いいたします!

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